ポリーニとアバド、類稀なる盟友がタッグを組んだ極上のベートーヴェン
「彼ほど上手く弾けるものがいようか」(ルービンシュタイン)
今年80歳を迎えたイタリアの名ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(1942.1.5生まれ)。ポリーニが一躍その名を世界にとどろかせたのは、1960年のショパン国際コンクールで優勝を飾った18歳の時のこと。審査員全員一致の推挙であり、しかも審査員長だったルービンシュタインの「私たち審査員の中で、彼ほど上手く弾けるものがいようか」という言葉は、ポリーニという存在がいかにセンセーショナルであったかを物語っています。ミラノのヴェルディ音楽院卒業のはるか前の9歳でデビューを果たした若きピアニストは、しかし、この直後に公の演奏活動から身を退き、レパートリーの拡充を含めさらに自らの芸術を深めるための研鑽を続けたのでした。そしてそのドロップアウトの期間を経て1968年に演奏活動を本格的に再開し、1971年にはドイツ・グラモフォンからストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3章」でデビューし、それまでの演奏・録音史を根本から塗り変えるような鮮烈なソロ・アルバムを続々と発表し続けました。
2人の盟友が刻んだ協奏曲録音
一方、ショパン・コンクール優勝の1960年にEMIに録音されたショパンの第1番を除くと、ドイツ・グラモフォンでのポリーニの協奏曲録音は1976年にスタート、ユニテルの映像収録とリンクした形で、ウィーン・フィルを起用してモーツァルト(第19番・第23番)、ベートーヴェン(第3番〜第5番)、ブラームス(第2番)が録音されました。さらに1982年にかけて、ベートーヴェンの第1番・第2番、ブラームスの第1番を録音し、「2大B」については全曲録音を完成させることになります。このうち、ブラームスの2番と、シカゴ響とのバルトーク(第1番・第2番)の指揮を担ったのがクラウディオ・アバドでした。共にミラノの出身であるアバドとポリーニは1960年代から共演を重ね、音楽的にも政治信条(左派)でも波長が合い、いわばお互いに同志ともいうべき強い絆で結ばれていた存在であり、録音ではすでに1973年に、やはり同じく二人の盟友だったノーノの「力と光の波のように」で共演していました。ポリーニ、アバドともに、極め尽くされた流麗かつアポロ的な音楽づくりを得意とする音楽家で、ブラームスであれ、バルトークであれ、それまでの作品のイメージを塗り替えるような新鮮な驚きに満ちていたのでした。
歴史的なベートーヴェン・チクルス
今回Super Audio CDハイブリッド化されるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、こうした二人の共演録音の中でも重要な足跡を記録したもので、1992年12月と1993年1月、ベルリン・フィルの定期演奏会(4つのプログラムによる10回の演奏会)でライヴ・レコーディングされました。まず12月9・10日に第3番、13・14・15日に第2番・第4番、19・20・21日に第1番が演奏され、翌年1月30・31日に第5番が演奏されています。興味深いのはプログラミングで、ベートーヴェンの「田園」と組み合わされた第5番「皇帝」を除き、リゲティ(「ロンターノ」「アトモスフェーレス」)、ノーノ(「断ち切られた歌」)、リーム(「像はなく/道はなく」「第1の二重の歌」)、ルトスワフスキ(オーボエとハープのための協奏曲)という現代作品が組み合わされていたことでしょう。ベートーヴェンの作品を現代曲と組み合わせるプログラミングはよく行われますが、このプログラミングも同時代音楽への視座を決して忘れることがなかったポリーニとアバドらしいチョイスで、その中でベートーヴェン作品の時代性・地域性を超越したユニバーサルな姿が浮かび上がってくるかのようです。
明晰かつ流麗なベートーヴェン解釈の決定打
ポリーニのベートーヴェン解釈は、重厚かつ思索性の強いドイツ的な演奏解釈こそがまだまだベートーヴェン作品の本流、とされていた20世紀後半の演奏思潮の中では、全く独自の、鮮烈なものでした。楽譜に書かれた音符や指示を純粋に音楽的に捉えることのできる感性によって論理的に再構築された先鋭かつ流麗な演奏は、20世紀後半におけるベートーヴェン演奏史の転換期にいきなり聳え立ったひとつの頂点でもありました。ポリーニは、自らの音楽を思う存分ぶちまけたかのような後期ソナタ5曲(1975〜77年録音・当シリーズで発売済み)と比べると、1度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集ではベームおよびヨッフムという19世紀生まれの巨匠の作り出す大きな枠の中で自らの音楽を奏でるような感がありましたが、この2度目の全集では演奏の方向性を同じくする盟友と演奏する喜びにあふれているかのようです。演奏に漲る気概やスピード感も凄まじく、各曲のカデンツァの勢いにも圧倒されるばかりです。ベルリン・フィルも、名技性はそのままに、カラヤン時代に纏っていた重い鎧を脱ぎ捨て(初出盤裏に掲載された写真を見る限り、弦楽器は12−10−8−6−4の12型)、明晰なサウンドでポリーニにピッタリとつけ、バックアップしています。なおアバドとベリルン・フィルは1999〜2001年にかけて2つのベートーヴェンの交響曲全集録音を成し遂げており、さらにスリムアップしたベートーヴェン解釈を音に刻んでいます。
最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化が実現
レコーディングはベルリン・フィルの本拠であるベルリン・フィルハーモニーで行われました。ソロもオーケストラも比較的近めの音像で収録されており、特にポリーニのソロは、磨き抜かれた微細かつ緻密なニュアンスを手に取るように聴くことができます。当時のドイツ・グラモフォンが推奨していた「4Dオーディオ・レコーディング」に拠っており、その背後に広がるベルリン・フィルの引き締まった筋肉質な響きも極めて適切で、演奏に漲る緊張感を再現しています。1994年の発売以来今回が初めての本格的なリマスターとなり、Super Audio CDハイブリッド化に当たっては、これまで同様、使用するマスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業が行われています。特にDSDマスタリングにあたっては、新たに構築した「Esoteric Mastering」システムを使用。 入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACとMaster Sound Discrete Clockを投入。またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を余すところなくディスク化することができました。
■『自然な流露感、ポリーニの熟した芸風』
「ポリーニとアバドというイタリアのコンビが生み出すベートーヴェンの世界は、どこか明るさを漂わせている。とりわけポリーニが作り出す響きに、それが強く感じられる。結果としてこの両者によるベートーヴェンは、聴き手の心を大きく開放してくれる。それがすこぶる快い。ポリーニといえば誰しも胸のすくような鮮やかなテクニックと、それが生む大柄な華やかさを期待する。もちろんポリーニはその期待に十全にこたえているが、それ以上に関心をそそるのが、すべての緩徐楽章に聞かれるしっとりした詩情。自然な流露感があり、ポリーニの熟した芸風が味わえる。」 『クラシック名盤大全 協奏曲編』1998年
「数多いベートーヴェンの《皇帝》のディスクの中でも、ピアノのひびきの輝かしさ、強靭さという意味合いにおいて特に際立つものといっていいだろう。並外れて高い演奏技巧を背景にして、ポリーニが導き出す音は、ひとつひとつがくっきりとした輪郭で描き上げられ、その表面には物事の姿が映し出されるであろうかと思われるほどに磨き上げられており、比類ない存在感がある。いわゆる伝統的なベートーヴェン演奏とは一線を画するような性格で、ポリーニの独自色は明白だ。ひきしまり、筋肉質で、反応の鋭い《皇帝》像といえようか。」 『ONTOMO MOOK クラシック不滅の名盤1000』2007年
「イタリアの名演奏家2人の共演であるだけに、ドイツの正統的な様式感とは完全にその本質を異にする演奏だが、強靭なタッチを駆使したポリーニの明快で彫りの深いソロは、メリハリの利いた表現が強いアピールを放っている。それはアバドが紡ぎ出すしなやかなカンティレーナを誇る自然で瑞々しいバックアップともあいまって、独自の魅力を満載した格好の良いベートーヴェン像を彫琢しており、その快い表情の推移が聴き手を捉えて離すことがない。」 『ONTOMO MOOK 最新版クラシック不滅の名盤1000』2018年
[収録曲]
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)
DISC 1
● ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15
[1] |
第1楽章:Allegro con brio
Cadenza: Ludwig van Beethoven(1809) |
[2] |
第2楽章:Largo |
[3] |
第3楽章:Rondo(Allegro scherzando) |
● ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19
[4] |
第1楽章:Allegro con brio
Cadenza: Ludwig van Beethoven(1809) |
[5] |
第2楽章:Adagio |
[6] |
第3楽章:Rondo(Molto allegro) |
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)
DISC 2
● ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
[1] |
第1楽章:Allegro con brio
Cadenza: Ludwig van Beethoven |
[2] |
第2楽章:Largo |
[3] |
第3楽章:Rondo(Allegro) |
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)
DISC 3
● ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73《皇帝》
[1] |
第1楽章:Allegro |
[2] |
第2楽章:Adagio un poco moto |
[3] |
第3楽章:Rondo(Allegro) |
詳細
録音 |
1992年9月(第1〜4番)、1995年1月(第5番)
ベルリン、フィルハーモニーでのライヴ・レコーディング |
初出 |
439 770-2(1994年) |
日本盤初出 |
POCG1767/9(1994年4月) |
オリジナル・レコーディング |
[エクゼクティヴ・プロデューサー]クリストファー・オールダー
[プロデューサー]クリストファー・オールダー
[バランス・エンジニア]ゲルノート・フォン・シュッツェンドルフ
[レコーディング・エンジニア]
ユルゲン・ブルクリン(第1〜5番)
ハンス=ルドルフ・ミュラー、ヨープスト・エーバーハルト(第5番)
ライハルト・ラーゲマン(第1〜4番) |