デュ・プレとバルビローリが一体となった空前絶後のエルガー
若き天才デュ・プレのエルガー
わずか12年の演奏活動を行い、難病「多発性硬化症」を発症して42歳の若さで亡くなったイギリスのチェロ奏者、ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945-1987)。その強烈なまでの情熱溢れる演奏は、残された録音からも伝わってきます。特に今回Super Audio CD化されるエルガーのチェロ協奏曲は、1965年、デュ・プレ20歳の時の録音で、「デュ・プレによってこの協奏曲は生き、この協奏曲によってデュ・プレは生かされた」と評されるほど。1961年、16歳の時ウィグモアホールでリサイタル・デビューを果たした早熟のデュ・プレは、早くも翌1962年3月、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでルドルフ・シュヴァルツ指揮BBC交響楽団と共演してこの協奏曲を演奏し、大きな成功を収めました。さらに同年夏のプロムス音楽祭でも演奏し、一躍国民的な人気を集めたデュ・プレは、さらに1964年まで毎夏プロムスで同曲を演奏しています。1965年5月のBBC響アメリカ・ツアーにソリストとして帯同したデュ・プレが、カーネギー・ホール・デビューで演奏したのもエルガーでした。さらに、1962年にEMIと契約を結びレコーディング活動を開始したデュ・プレが、1964年録音のディーリアスのチェロ協奏曲に続く2曲目の協奏曲録音に選んだのがやはりエルガーだったのです。
バルビローリとデュ・プレの強い絆
1965年8月19日、夏のプロムスの期間中にキングスウェイ・ホールでのロンドン交響楽団とのセッションで収録されたデュ・プレとのこの協奏曲の指揮を執ったのがジョン・バルビローリ(1899-1970)です。第2次大戦後、イギリスのハレ管弦楽団の首席指揮者として同団の黄金時代を築き上げたイギリスの名指揮者で、その耽美的なまでに情感あふれる演奏で今でも多くの音楽ファンの心をつかんでいます。SP時代から録音には積極的で、生涯にわたって数多くの録音を残していますが、戦後のステレオ時代では、ブラームス、シベリウス、マーラー、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズらの交響曲・管弦楽曲が代表的な名盤として知られています。自身卓越したチェリストとして音楽活動をスタートしたバルビローリは、1956年、デュ・プレが11歳で応募したギレルミナ・スッジア奨学基金の審査員長を務めるなど、若いデュ・プレに目をかけその成長を見守ってきた音楽家の一人でした。2人が初めて共演したのは1965年4月のことで、曲はやはりエルガー。バルビローリは、チェロ奏者としてエルガーの音楽に早くから親しんでおり、チェロ協奏曲の1919年の初演ではロンドン響の団員として作曲者の指揮で演奏し、さらに1921年には独奏者としてボーンマス管弦楽団とこの曲を演奏するなど、彼もまた「この協奏曲と生きてきた」人物だったのです。
作品の多彩なキャラクターを彩るデュ・プレ
デュ・プレとのエルガー録音は、3時間のセッション2回で全曲を収録し終えるなど非常にスムーズに進みました。デュ・プレのチェロは、第1楽章の深く沈潜するモノローグから豊かな感情にあふれ、作品のあらゆるキャラクターを多彩な感情で彩っていきます。そしてデュ・プレのソロにぴったり合わせ、音楽を波打つように呼吸させるバルビローリの手腕も見事。第3楽章アダージョや第4楽章のクライマックスでの一部の隙も無く一体となって高揚してゆくさまはこの二人の音楽家の間の共感の強さを物語っているかのようです。録音から4か月後の1965年12月には、エルガーの「海の絵」(アルト・ソロはジャネット・ベイカー)とのカップリングでEMIからLPが発売され、デュ・プレが13歳から親しんだエルガーの名曲が、彼女のトレードマークとして、世界で広く知れ渡ることとなりました。デュ・プレによるエルガーのチェロ協奏曲は、クリストファー・ヌーペンによる有名な映像作品(バレンボイム指揮ニュー・フィルハーモニア管)のほか、複数のライヴ録音も公刊されていますが、20世紀後半のロンドンでの録音を支えた名ホール、キングスウェイ・ホールで万全の態勢で収録された当盤の圧倒的な優位は揺るぎません。
エルガーの同時代人バルビローリ
バルビローリはエルガーの同時代人であり、20世紀初頭のエドワード朝の残滓を放つかのようなノスタルジーに満ちたエルガーの作品は指揮者としてのバルビローリのレパートリーの中でも中心的な位置を占めていました。エルガー作品の初録音はSP時代の1927年に録音した「序奏とアレグロ」、バルビローリが生涯最後に指揮したエルガー作品は亡くなる5日前の交響曲第1番であり、2曲の交響曲、エニグマ変奏曲、「コケイン」序曲、チェロ協奏曲などには複数の録音を残すなど、文字通り生涯にわたってエルガー作品の普及に貢献しました。「エニグマ変奏曲」にも深い愛着を持ち、ハレ管弦楽団と2度(1947年モノラル録音[EMI]、1956年ステレオ録音[Pye])録音した後、1962年5月、7年ぶりにEMIに復帰、その最初の録音となったヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番のセッションの余白時間に収録が開始され、同年8月に残り部分の収録が行われ、完成したのが当盤所収のフィルハーモニア管弦楽団との録音です。ウォルター・レッグによって1945年に創設された同管は、当時イギリスで最も優秀な奏者を集めた若いオーケストラで、オットー・クレンペラーを中心にEMIでの録音活動も活発に行われていました。EMIはバルビローリのレーベル復帰にあたって、バルビローリの手兵ではなく敢えてフィルハーモニア管を起用し、それまでのハレ管弦楽団とのPyeレーベルへの録音と一線を画する新たなプロジェクトであることをアピールしたのでした。またバルビローリは「威風堂々」の5曲の行進曲を1962年8月と1966年7月に分けて録音しており、当盤所収の3曲のうち、66年に録音された第2番が「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」名義になっているのは、1964年に資金難を理由にレッグによって解散され、自主運営で再出発するにあたって改名していたからです。
最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化が実現
デュ・プレのチェロ協奏曲は、発売以来カタログから消えたことのない名盤で、デジタル時代に入ってもいち早くCD化されました。その後もEMIインターナショナルの「art」や日本独自のHS2080シリーズも含めた複数のリマスターを経て、EMI最後期の2011年にはアビーロード・スタジオのチームによってDSDリマスターが行われ、Super Audio CDハイブリッド盤が、そして翌年にはSuper Audio CDシングルレイヤー盤が発売されています。2019年にはMQA-CDでも発売されるなど、リマスターのみならずプレス技術の進化に応じて何度もリイッシューされてきました。バルビローリの「エニグマ変奏曲」は、LP時代に日本ではなかなか発売されなかったバルビローリが残したチェロ協奏曲以外のエルガー作品の中で、「威風堂々」と並んで早くから発売されていた数少ない演奏で、直近の2017年にはタワーレコードの「Definition Series」企画で初めてSuper Audio CDハイブリッド化されています。今回のSuper Audio CDハイブリッド化に当たっては、これまで同様、使用するマスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業をおこないました。特にDSDマスタリングにあたっては、新たに構築した「Esoteric Mastering」システムを使用。 入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACとMaster Sound Discrete Clockを投入。またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を伸びやかなサウンドでディスク化することができました。
■『デュ・プレの最良の遺産の一つ』(チェロ協奏曲)
– エニグマ変奏曲 –
「《エニグマ変奏曲》はエルガーのロマンティックな傑作群の中でも最もロマンティックな1曲であり、その独特な、過去を思い懐かしむような雰囲気の中に、ノスタルジックな情緒をいっぱいに湛えている。このバルビローリ盤は、演奏者の深い感情移入が作品に込められた感情と完全に一つに溶け合ったがために、比類なき説得力を生むことになった名演であり、この指揮者ならではの人間的な表現が理屈抜きに聴き手を魅了する。」
『クラシック名盤大全・交響曲・管弦楽曲編』2015年
– チェロ協奏曲 –
「デュ・プレの最良の遺産の一つ。もっとも、彼女が20歳の時に録音した初めての協奏曲録音だったというのだから驚くほかない。無垢の精神を持つ若者が全身全霊を傾けて演奏した清らかな輝きに満ち溢れた音楽はこの上なく魅力的で、チェロの響きも常に格調が高い。憂いを含んだ旋律をたっぷりと歌いあげる彼女の音楽は、すでに完成されたものといえよう。絶妙なサポートを行っているのがバルビローリの指揮である。」
『クラシック名盤大全・協奏曲編』1998年
「デュ・プレのエルガーはまず音色が深々として格調が高く、その抒情的な部分の奥深さ、瞑想的な美しさは、ちょっとほかの演奏家からは求められないものだ。そしてここでもバルビローリの優しく暖かい指揮ぶりも指摘しておかなくてはならない。(・・・)エルガーの協奏曲は世界のコンサートホールでレギュラー的なレパートリーとして定着しているが、それにはデュ・プレ=バルビローリの子の演奏が果たした功績も大なるものがあろう。この演奏を聴いて、レパートリーに入れたチェリストは、決して少なくなかったと思う。」
『クラシック不滅の名盤800』1997年
「当エルガー作曲のチェロ協奏曲のディスクにきく独奏者デュ・プレの演奏の雄弁さには、なにか尋常ならざるものが感じられる。チェロという楽器ならではの線の太い表現力から、触れれば直ぐにでも崩れてしまいかねないデリケートな要素にいたるまで、彼女のチェロがカバーしている領域はたいそう振り幅が大きい。加えてここではロンドン交響楽団を指揮しているバルビローリが独奏者を支える最適な伴奏をしていることも見逃せない。」
『クラシック不滅の名盤1000』2007年
収録曲 / 詳細
エドワード・エルガー(1857-1934)
ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
ロンドン交響楽団[チェロ協奏曲]
フィルハーモニア管弦楽団[エニグマ変奏曲、威風堂々第1番・第4番]
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団[威風堂々第2番]
指揮:サー・ジョン・バルビローリ
※ジャケット写真は、収録曲の初出 LP のうちの「 チェロ協奏曲 」のため、収録していない「海の絵」のタイトルが記載されています。ご了承ください。
DISC 1
[1] |
エドワード・エルガー(1857-1934)
チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
第1楽章:Adagio – Moderato |
[2] |
第2楽章:Lento – Allegro molto |
[3] |
第3楽章:Adagio |
[4] |
第4楽章:Allegro – Moderato – Allegro ma non troppo |
[5] |
独創主題による変奏曲 作品36《エニグマ(謎)》
主題 Theme |
[6] |
序奏 – 第1変奏 Introduction - Variation I. L'istesso tempo "C.A.E." |
[7] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[8] |
第3変奏 Variation III. Allegretto "R.B.T." |
[9] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[10] |
第3変奏 Variation III. Allegretto "R.B.T." |
[11] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[12] |
第3変奏 Variation III. Allegretto "R.B.T." |
[13] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[14] |
第3変奏 Variation III. Allegretto "R.B.T." |
[15] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[16] |
第3変奏 Variation III. Allegretto "R.B.T." |
[17] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[18] |
第3変奏 Variation III. Allegretto "R.B.T." |
[19] |
第2変奏 Variation II. Allegro "H.D.S-P." |
[20] |
行進曲《威風堂々》作品39
第1番 ニ長調 No. 1 in D major |
[21] |
第2番 イ短調 No. 2 in A minor |
[22] |
第4番 ト長調 No. 4 in G major |
詳細
録音 |
[チェロ協奏曲]1965年8月19日、ロンドン、キングスウェイ・ホール
[エニグマ変奏曲]1962年5月9日、8月27日、ロンドン、キングスウェイ・ホール
[威風堂々第1番・第4番]1962年8月29日、ロンドン、キングスウェイ・ホール
[威風堂々第2番]1966年7月14日、ロンドン、キングスウェイ・ホール
(アナログ・レコーディング) |
LP初出 |
[チェロ協奏曲] ASD 655(1965年2月、エルガー「海の絵」とのカップリング)
[エニグマ変奏曲]ASD 548(1963年11月、エルガー「コケイン序曲」とのカップリング)
[威風堂々第1番・第4番]ASD2292(1966年12月、EP盤としては1963年11月に威風堂々第4番とのカップリングでRES4310として発売)
[威風堂々第2番]ASD2292(1966年12月) |
日本盤LP初出 |
[チェロ協奏曲]AA7617(1966年7月)
[エニグマ変奏曲、威風堂々第1番・第2番]AA8517(1969年7月)
[威風堂々第4番]EAC80078(1975年4月) |
オリジナル・レコーディング |
[プロデューサー]
[チェロ協奏曲]ロナルド・キンロック・アンダーソン
[エニグマ変奏曲、威風堂々第1番・第4番]ヴィクター・オロフ
[威風堂々第2番]クリストファー・ビショップ
[レコーディング・エンジニア]
[チェロ協奏曲・威風堂々第2番]クリストファー・パーカー
[エニグマ変奏曲、威風堂々第1番・第4番]ハロルド・ダヴィドソン |