晩年に名演を多く排出した巨匠による、クレンペラーならではの独自の世界
最もクラシック音楽の録音が隆盛を極めていた時期のEMIを代表する演奏。
マーラーに見出され、欧州各地の歌劇場の首席指揮者・音楽監督を歴任した19世紀生まれの最後の巨匠クレンペラー。波乱万丈の人生の末、EMIの大プロデューサー、ウォルター・レッグによって結成されたフィルハーモニア管弦楽団の終身首席指揮者に就任。そのまさにやっと迎えた全盛期に演奏され、最もクラシック音楽の録音が隆盛を極めていた時期のEMIを代表する名録音をSuper Audio CDハイブリッドディスク化。
波乱万丈の生涯を送った真の巨匠、クレンペラー
19世紀生まれの最後の巨匠、オットー・クレンペラー(1885-1973)ほど波乱に富んだ生涯を送った指揮者は居ないでしょう。ドイツ北部のブレスラウ(現ポーランドのヴロツラフ)に生まれ、4歳からハンブルクでピアノを学び、1905年にベルリンでオスカー・フリート指揮のマーラーの交響曲第2番《復活》で副指揮者を務めます。さらに同曲のピアノ版編曲をマーラーに評価され、1906年に代役でラインハルト演出によるオッフェンバックの喜歌劇《天国と地獄》を指揮して大成功をおさめた後、マーラーの推薦で1907年からプラハのドイツ歌劇場の指揮者に採用され、指揮者として本格的な活動を開始しました。
その後は1910年以後、ハンブルク、ストラスブール、ケルン、ヴィースバーデンなどドイツ各地の歌劇場の首席指揮者、音楽監督を歴任するとともにヨーロッパ各地やソ連に客演、1924年からベルリン・フィルと国立歌劇場も指揮して名声を高めます。当時のベルリンは芸術的に最も繁栄していた時期といわれ、フルトヴェングラー、E.クライバー、ワルターなども活躍していたましたが、クレンペラーは斬新な演出によるモーツァルト、ワーグナー、イタリア・オペラの他、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ヒンデミット、ヤナーチェク、ヴァイル他の新作オペラを上演。コンサートでも現代音楽を積極的に演奏するなど、広いレパートリーを披露していましたが、ナチスが政権を握った1933年にアメリカに亡命します。
何度も起こる不慮の事故
この間、クレンペラーは電気録音が実現した1925年頃からベルリン国立歌劇場管弦楽団とベートーヴェンの交響曲第1・8番、シューベルトの《未完成》、ブラームスの第1番、R.シュトラウスの交響詩などを録音して注目され、渡米後は1933年からロスアンジェルス・フィルの音楽監督に就任後は全米各地に客演します。ところが第2次大戦が勃発した1939年9月に脳腫瘍を発症、大手術から回復後も右半身に麻痺が残り、手術の影響で再発した多幸症による不適切発言などでロスアンジェルス・フィルを解任され、一時は再起不能説も流れました。
クレンペラーは病気や怪我に悩まされながら自費でコンサートを開催、1944年にはシェーンベルク生誕70年記念公演、大戦が終了した1945年にストラヴィンスキーと共同開催したロシア音楽祭を指揮、1946年に13年ぶりにヨーロッパに戻り、1947年にザルツブルク音楽祭に14年ぶりに出演、1951年に初めてフィルハーモニア管弦楽団に招かれ大成功をおさめた後、南北アメリカに客演中、モントリオール空港でタラップから転落して骨折、またもや長期入院を強いられます。さらに追い打ちをかけられるかのようにアメリカで共産主義者に疑われて活動を中断されます。1954年に西ドイツ国籍を取得してからスイスのチューリヒを拠点に再開、EMIと契約して10月からフィルハーモニア管弦楽団との録音を開始し、ここにきてやっと世界的に名声を獲得しはじめたのです。
ついに獲得した名声
晩年のクレンペラーを語るうえでEMIの大プロデューサー、ウォルター・レッグの存在を無視することはできないでしょう。クラシック部門の重鎮であった彼はフルトヴェングラー、カラヤン、夫人となった名花シュヴァルツコップ、そしてマリア・カラスなど多くのスターを登用します。それと同時に彼は1945年、第2次対戦で職を失っていた実力のある演奏家を集めて「フィルハーモニア管弦楽団」を結成します。EMIのクラシック部門のために演奏するオーケストラです。
縦横無尽の活動をしていたレッグですが、カラヤンが50年代半ばにベルリン・フィル専属となり、フィルハーモニア管弦楽団としては新しい指揮者を求めることになります。そこで白羽の矢が立ったのがクレンペラーでした。実力に比して評価が低かった彼はこれを機に再び甦ったのです。
1955年からフィルハーモニア管弦楽団を中心に活躍して名声を高めたのが70歳の時。1959年から終身首席指揮者に就任。本作は、そのまさにやっと迎えた全盛期に録音されたクレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団の名演なのです。
名演を数多くリリースしたEMI時代と演奏スタイルの変化
こうした安定期のなかでも事件は起こっていました。63年ウォルター・レッグはEMI経営者との見解の相違もあったのでしょう、退職してしまいます。その後フィルハーモニア管弦楽団も解散、途方に暮れたのはメンバーです。クレンペラーも協力してニュー・フィルハーモニア管弦楽団が再結成され、その後も活動することになります。そうした騒動の少し前、クレンペラーとレッグの蜜月と言ってもいいような安定した関係、名演を数多くリリースしていた黄金時代の記録がここに残されているのです。
ところでクレンペラーの演奏、とくにテンポ設定に関して、彼のスタイルはこの晩年になり一変しています。これはレッグのアドヴァイスによるものなのか、はたまた長年の闘病による体の問題なのか、以前とは違って、じっくりゆったりした方向に転換します。ただし曲の細部までの深い彫琢に変わりはありませんでした。このあたりも聴き取って頂きたいところです。ともあれ、1972年に引退するまでにも多幸症の再発や怪我、大火傷などで活動をたびたび中断しても不死鳥のように再起した、音楽家としてだけでなく、人生全般を通しての「不屈の巨匠」、それがクレンペラーなのです。
最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化が実現
レコーディングはロンドンのキングズウェイ・ホールで行われました。1912年に設立され1983年まで数多くの名録音を残しています。EMIではアビーロード・スタジオと同じく当ホールもレコーディング場所としてフル活用していましたが、同様にデッカもロンドンではこのホールを使うなど、音響的にも非常に優れたアコースティックを持っていました。地下にあるホールでその下には地下鉄が通っていたとも言われ、制作スタッフとしては苦労が絶えなかったようですが、それ以上に音響の素晴らしさがあった名ホールでした。座席数2000、漆喰を塗った壁面や木製の床に響きに秘密があるとも言われた繊細な残響が美しいホールで、その音響ゆえ、時に中高域にアクセントを持つクレンペラーの録音でしたが、それを包み込むような芳醇さが記録されています。
本作もこれまで同様、使用するマスターの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業をおこないました。特にDSDマスタリングにあたっては、「Esoteric Mastering」を使用。 入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACとMaster Sound Discrete Clockを投入。またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を伸びやかなサウンドでディスク化することができました。
「これがクレンペラーの比類ない芸術性なのだ」
「《新世界より》と《未完成》は、初出時は遅いテンポも話題になったが、低弦を土台に緊密に彫琢された明晰な響きと細やかな表現もすばらしく、交響曲の様式に民俗的な要素を見事に融合したドヴォルザーク、瑞々しいロマン的な情感をたたえたシューベルトは、まさにクレンペラーならではの名演であり、それらをより明確に聴けるのもハイブリッド盤ならではの魅力であろう。」
本ディスク・ライナーノーツより・浅里公三氏
「やぼったいほどドイツくさい《新世界より》だが、そのやぼったさに胸がわくわくしてしまうのだから、クレンペラーの芸格の高さは無類と言えよう。ティンパニのおどろくほどの弱さに象徴されるように民俗色などクスリにしたくもなく、蒼古雄大な音楽が展開される。」
レコード芸術・編『ONTOMO MOOK 名曲名盤300より・宇野功芳氏コメント
「クレンペラー節まるだしのドヴォルザークであって、私たちがドヴォルザークの音楽に期待しがちなローカルな匂いはほとんどどこにもない。それどころか、これはクレンペラー節に彩られたドイツ音楽にすっかり変身している。しかしながらクレンペラーの剛殻な音楽が私たち聴き手の胸にガツンと響く。これがクレンペラーの比類ない芸術性なのだ。」
旧ディスクTOCE12101ライナーノーツより・松沢氏
[収録曲]
◇アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)
■交響曲 第9番 ホ短調 作品95《新世界より》
| [1] |
第1楽章:Adagio - Allegro molto |
| [2] |
第2楽章:Largo |
| [3] |
第3楽章:Scherzo(Molto vivace) |
| [4] |
第4楽章:Allegro con fuoco |
◇フランツ・シューベルト(1797-1828)
■交響曲 第8番 ロ短調 D.759《未完成》
| [5] |
第1楽章:Allegro moderato |
| [6] |
第2楽章:Andante con moto |
[詳細]
フィルハーモニア管弦楽団
指揮:オットー・クレンペラー
| 録音 |
1963年10月30日?11月2日[1-4]、1963年2月4&6日[5-6]
ロンドン、キングスウェイ・ホール |
| 初出 |
SAX2554(新世界より、1964年)、SAX2514(未完成、1964年) |
| 日本盤初出 |
AA7203(新世界より、1965年3月)、AA7051(未完成、1964年5月) |
| オリジナル・レコーディング |
[レコーディング・プロデューサー]ウォルター・レッグ
[バランス・エンジニア]ダグラス・ラーター |
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