ベルリン・フィルの名手たちと奏でられる鮮鋭な表現による協奏曲とソロ曲における確かな様式感!
1966年録音のソロ・アルバム『ギター・リサイタル』からのロドリーゴの《アランフエス協奏曲》とカステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲に加え、他のアルバムに収録されていたヴィゼーとバッハの組曲や20世紀ドイツのアンブロジウスの組曲第1番、ベーレント自作の《日本民謡によるソナチネ》などを加えた独自の選曲。ベーレントの卓越した技巧と表現力を再認識できる絶好の構成でSuper Audio CDハイブリッド化。
エソテリックによる名盤復刻シリーズ SACDハイブリッドソフト
ESOTERIC(エソテリック)は、「ESOTERIC名盤復刻シリーズ」スーパーオーディオCDハイブリッド盤3作品を発売開始いたします。社内に構築した「エソテリック・マスタリング・センター」にてリマスタリングを行いました。定評の丁寧なマスタリング作業に、独自のデジタル技術を駆使して開発した「Esoteric Mastering」の音楽表現力が加わり、さらなる感動をお届け出来るスーパーオーディオCDに仕上がっています。
幅広く音楽を探求していた現代の音楽家の側面を持つギタリスト、ベーレント
ドイツのジークフリート・ベーレント(1933-1990)は、スペインのナルシソ・イエペス、イギリスのジュリアン・ブリームやオーストラリアのジョン・ウィリアムズとともに1950年代から活躍した名手のひとりです。
ベルリン生まれのベーレントは、16歳からクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院でピアノ、作曲、指揮を学びますが、すぐれたギタリストだったといわれる父の勧めもあり、次第にギターに関心を抱くようになり、バルトークの《ミクロコスモス》などギター以外の器楽曲から独学で楽曲を学び約1年で習得したといいます。
ドイツのジークフリート・ベーレント(1933-1990)は、スペインのナルシソ・イエペス、イギリスのジュリアン・ブリームやオーストラリアのジョン・ウィリアムズとともに1950年代から活躍した名手のひとりです。
ベルリン生まれのベーレントは、16歳からクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院でピアノ、作曲、指揮を学びますが、すぐれたギタリストだったといわれる父の勧めもあり、次第にギターに関心を抱くようになり、バルトークの《ミクロコスモス》などギター以外の器楽曲から独学で楽曲を学び約1年で習得したといいます。
不完全な楽器、ギター。その魅力は切なく深い魅力とは
1959年、アンドレス・セゴビアが二度目の来日をし、翌年「禁じられた遊び」でその名を轟かしたナルシソ・イエペスが初来日、日本はギター・ブームになりました。数年後、ビートルズ、べンチャーズが台頭、しかし家庭では「エレキは不良になる」と言われ、しょうがなくクラシック・ギターを抱えていた若者が多く、ギター・ケースを持ち歩いていた人が街にあふれ、数多くのギター教室も生まれていました。ピアノほど高価ではなく、手頃なのも人気になった要因でしょう。ただしギターという楽器はクラシック音楽の仲間入りをするには、何ともハードルの高い楽器でした。ピアノと比べて1オクターブ内で最大4つの和音しか出せない構造になっていること。俗に言うクローズドヴォイシングが限られるため、弾ける楽曲が限られてしまうのです。それに加えてヴァイオリンのような擦弦楽器ではなく撥弦楽器のため、大きな音量を出すのが困難、この2つの大問題があるのです。ただしそれを凌駕するような魅力があります、それは音色です。武満徹氏などはギターの音色に魅せられていた一人で、いくつもの編曲作品を発表していますし、掛け替えのない不完全な魅力、それをギターは秘めているのです。
60年代、日本のクラシック・ギター・ファンに愛されたベーレント
日本のギター・ファンが切望していたのは世界的なギタリストの来日公演です。しかし、1963年に22歳でジョン・ウィリアムアズが来日はしたものの、イエペス以外なかなか頻繁には来日公演は行われませんでした。そうした中、ベーレントは65年以降も5回来日し、当時の日本では非常に親しまれたギタリストでありました。前古典から現代曲、民俗的なギター曲にも挑戦。作曲、編曲、合奏指揮まで独自の道を歩む彼の姿勢は日本でも受け入れられました。バッハに傾倒し、圧倒的なテクニックで弾きこなし、ドイツ人らしい精神性を奏でる。「そのヴィルトゥオーゾ性、豊かな音色の美しさは、チェロのカザルス、ピアノのアラウにも匹敵する」とドイツ(ケルン) では称賛されていましたし、マンドリン・オーケストラの指揮者としても活躍し、若いころの越智敬(マンドリン)や佐々木忠(ギター/リュート) も、合奏団で活躍しました。
日本では、アンドレス・セゴビア(1893-1987) の影響が強く、セゴビア・トーンといわれる豊かで芳醇なスペイン的な響きに心酔している傾向が多くみられましたが、自らの音楽を追求するベーレントの生き方は、愛好家に多くの支持得ていたのも事実でした。残念ながら57歳という円熟期に早世。
ベルリン・フィルの名手とともに展開される協奏曲
今回、ハイブリッド盤でリリースされるロドリーゴの《アランフエス協奏曲》とカステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲は、同じ1966年録音のソロ・アルバム『ギター・リサイタル』からの選択。それに他のアルバムに収録されていたヴィゼーとバッハの組曲や20世紀ドイツのアンブロジウスの組曲第1番、ベーレント自作の《日本民謡によるソナチネ》などを加えた独自の選曲、いわばベーレントというギタリストの多方面にわたる音楽家としての姿が網羅されています。いずれも定評あるベーレントの卓越した技巧と表現力を再認識していただくには絶好の一枚と言えるでしょう。
なお協奏曲で共演している指揮者ラインハルト・ペータース(1926-2008) は、マグデブルクに生まれ、ベルリンで亡くなったドイツの指揮者。ヴァイオリンとピアノをベルリン音楽大学、パリでマルグリット・ロンとジャック・ティボーに学び、1951年にブザンソン国際指揮者コンクールに優勝後、翌年からベルリン市立歌劇場などを指揮、1957年からライン・ドイツ・オペラ、1961年からミュンスター市立歌劇場、1970年からベルリン・ドイツ・オペラ、1975 〜79年までフィルハーモニア・フンガリカの首席指揮者を歴任して世界的に活躍、1959年に初来日して東京交響楽団を指揮後、1971年にNHK交響楽団に客演、80年代には新星日本交響楽団の客演常任指揮者を務めています。
最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化が実現
協奏曲の収録はベルリン郊外ダーレムにあるイエス・キリスト教会で行われました。1970年代前半までベルリン・フィルの録音拠点とされていた場所で、高い天井を持ち、素晴らしい音響が得られることで定評のあった教会でした。上空が飛行機の空路になった、などの理由があったと言われていますが、70年代以降はベルリン・フィルの本拠地フィルハーモニー・ホールでの収録がメインになってしまいました。フィルハーモニー・ホールは後部にも座席があるため、豊かな低域が得られないのでは、という意見も当初は多く、イエス・キリスト教会の復活を望む声も多かったのが今でも印象的です。本作はそのベルリン・フィルの素晴らしい音が響き渡るイエス・キリスト教会での収録で、繊細なギターの音色も一際映えています。ギター協奏曲という音量バランスの難しい作品ですが、そこはグラモフォンの録音エンジニアの腕の見せどころ。鮮度の高いマスターテープに残されたサウンドが現代に甦りました。
本作もこれまで同様、使用するマスターの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業をおこないました。特にDSDマスタリングにあたっては、「Esoteric Mastering」を使用。 入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACとMaster Sound Discrete Clockを投入。またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を伸びやかなサウンドでディスク化することができました。
「引き締まった速めのテンポで鮮やかに表現されたアランフエス。共演のベルリン・フィルの名手たちの妙技も素晴らしい」
「かつて《アランフエス協奏曲》の第1楽章のテンポが一部から速すぎると批判されたようだが、作曲家の指示は「アレグロ・コン・スピリート(生気をこめて、または元気よく)」であり、ベーレントはそれを引き締まった速めのテンポで鮮やかに表現しており、また共演しているベルリン・フィルの名手たちの妙技も大変すばらしい。そしてソロ曲におけるベーレントの様式感の確かな名演に加え、このハイブリッド盤ではグラモフォンの録音スタッフのすぐれた手腕を再認識するひとも多いのではないかと思う。」
本ディスク・ライナーノーツより・浅里公三氏
「日本では、1960〜70年代はアンドレス・セゴビアの影響が強く、セゴビア・トーンといわれる豊かで芳醇なスペイン的な響きに心酔している傾向が多かったが、自らの音楽を追求するベーレントの生き方は、愛好家には支持された。57歳という円熟期に早世したことが、今更ながら惜しまれてならない。」
本ディスク・ライナーノーツより・朝倉信章氏
[収録曲]
◇ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)
■アランフエス協奏曲 ギターとオーケストラのための
| [1] |
第1楽章:Allegro con spirito |
| [2] |
第2楽章:Adagio(Cadenza: Joaqu?n Rodrigo) |
| [3] |
第3楽章:Allegro gentile |
◇マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(1895-1968)
■ギター協奏曲 ニ長調 作品99
| [4] |
第1楽章:Allegretto |
| [5] |
第2楽章:Andantino alla Romanza |
| [6] |
第3楽章:Ritmico e cavalleresco |
◇ロベール・ド・ヴィゼー(c.1650?c.1725)
■ベーレント編 組曲 ニ短調
| [7] |
第1曲:Pr?lude |
| [8] |
第2曲:Allemande |
| [9] |
第3曲:Courante |
| [10] |
第4曲:Gavtte |
| [11] |
第5曲:Sarabande |
| [12] |
第6曲:Bourr?e |
| [13] |
第7曲:Menuett |
| [14] |
第8曲:Gigue |
◇ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
■リュート組曲 第1番 ホ短調 BWV996
| [15] |
第1曲:Pr?ludium |
| [16] |
第2曲:Allemande |
| [17] |
第3曲:Courante |
| [18] |
第4曲:Sarabande |
| [19] |
第5曲:Bourr?e |
| [20] |
第6曲:Gigue |
◇フェルナンド・ソル(1778-1839)
◇マウロ・ジュリアーニ(1781-1829)
■ベーレント編 ソナチネ 作品71の1
◇ヘルマン・アンブロジウス(1897-1983)
■ベーレント編 組曲 第1番 イ長調
| [23] |
第1曲:Pr?ludium(Andante) |
| [24] |
第2曲:Anglaise(Vivace) |
| [25] |
第3曲:Sarabande(Andante) |
| [26] |
第4曲:Bourr?e(Vivace) |
◇ジークフリート・ベーレント(1933-1990)
■日本民謡によるソナチネ
| [27] |
第1曲:五木の子守歌 |
| [28] |
第2曲:よさこい節 |
| [29] |
第3曲:出船 |
[詳細]
ジークフリート・ベーレント(ギター)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[1-6]
指揮: ラインハルト・ペータース[1-6]
| 録音 |
1966年5月9?13日、ベルリン、イエス・キリスト教会[1-6]
1966年5月31日?6月2日、ベルリン、ドイツ・グラモフォン UFAスタジオ[7-29] |
| 初出 |
139 166(協奏曲、1967年3月)、139 167(リサイタル、1967年4月) |
| 日本盤初出 |
SLGM-1373(協奏曲、1967年3月)、SLGM-1378(リサイタル、1967年4月) |
| オリジナル・レコーディング |
[レコーディング・プロデューサー]ハンス・ウェーバー
[レコーディング・エンジニア]クラウス・シャイベ
[テープ・エディター]
ウォルフガング・ワーナー[1-6]
フォルカー・マルタン[7-29] |
※製品の仕様、外観などは予告なく変更されることがありますので、予めご了承ください。