20世紀に芸術歌曲を復権させた立役者たちのかけがえのないモニュメント
芸術歌曲の普及を支えた4人のアーティストを記録した2つのアルバムが22年ぶりの新規リマスターかつ世界初のSuper Audio CDハイブリッド化。しかも日本における全曲CD化は今回が初めて。
エソテリックによる名盤復刻シリーズ SACDハイブリッドソフト
ESOTERIC(エソテリック)は、「ESOTERIC名盤復刻シリーズ」スーパーオーディオCDハイブリッド盤2作品を発売開始いたします。社内に構築した「エソテリック・マスタリング・センター」にてリマスタリングを行いました。定評の丁寧なマスタリング作業に、独自のデジタル技術を駆使して開発した「Esoteric Mastering」の音楽表現力が加わり、さらなる感動をお届け出来るスーパーオーディオCDに仕上がっています。
20世紀における芸術歌曲復権の貢献者の記録
ドイツ・リートを中心とするピアノ伴奏による芸術歌曲は言葉と音楽、詩と旋律、文学と和声という異なるジャンルを高度に融合させた表現形式で、19世紀にヨーロッパ各地で高度に進化しました。19世紀末にレコード録音が実用化されると、録音システムと声との親和性が高かったこともあって歌曲のレコードが数多く作られるようになりました。歌曲はすでにSP時代から広範に録音され世界各地で幅広く聴かれていましたが、真の意味で歌曲を普及させたのは長時間収録が可能になった第2次大戦後のLPレコードの登場以降のことでした。この2枚組はそうした芸術歌曲の20世紀における普及を支えた4人のアーティストを記録したアルバムです。
歌曲における伴奏者を歌手と対等の位置に押し上げたジェラルド・ムーア
イギリスが生んだピアニスト、ジェラルド・ムーア(1899-1987)は、この中で中心的な位置を占めています。ハートフォード州ウォトフォードに生まれたカナダのトロントで育ち、音楽教育も主に同地で受け15歳のころピアノ伴奏者としてデビュー。ムーアが独特だったのは、いわゆる独奏者としての活動には目もくれず、他のアーティストとの共演することを選んだことでしょう。パブロ・カザルスのような器楽奏者との共演にとどまらず、いやそれよりもむしろ歌手との共演による歌曲の演奏に力を入れ、卓越した歌曲伴奏者として知られるようになりました。イギリスのテノール歌手ジョン・コーツ(1865-1941)との共演を通じて歌曲におけるピアノ伴奏の重要性を認識し、歌曲についての講義や執筆も行い、歌曲における伴奏者の地位を従属した役割から芸術的に同列の共演者に高めたのはまさにムーアの功績です。
第2次大戦後の音楽界で歌曲を世界的に普及させた3人の名歌手
ムーアは1920年代からエリーザベト・シューマン、エレナ・ゲルハルト、アレクサンダー・キプニスなど当時を代表する名歌手との共演を重ね、録音を残してきましたが、彼が真の意味での理想的な歌曲演奏を実現できたのは、第2次大戦後に台頭してきた新しい世代の歌手たちとの共演を通じてでした。その中でムーアが共演することを最も好んだのがソプラノのヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(1923-2005)とエリーザベト・シュヴァルツコップ(1915-2006)、そしてバリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)の3人だったのです。
3人とも1950年代以降、オペラ、オーケストラとの共演、そしてリサイタルで国際的に八面六臂の活躍を行い、レコード録音にも積極的に取り組みました。特に歌曲のリサイタルには力を入れ、この特別な芸術ジャンルのイメージを体現し、世界的に親しまれるように尽力したのです。ムーアは1962年に出版した『お耳ざわりですか―ある伴奏者の回想』でこの3人の歌手について称賛の言葉を連ねています。中でも大のお気に入りだったロス・アンヘレスについては、「彼女の声質のすばらしさに魅せられる。1曲の演奏が終わるごとにその黒い瞳を私の方に―しかも好意をもって―向けてくれると、生きていてよかったと思う」とべた褒めしています。シュヴァルツコップについては「誰にとっても彼女ほど魅力的な容姿と美しい声を兼ね備えた人間と自分を比べると不公平だと感じるだろう」と述べ、フィッシャー=ディースカウは歌手の中でムーアが「天才だ」という言葉で形容した唯一の存在でした。
類まれなる伴奏者への花向けとなった空前のコンサート
歌曲演奏を牽引してきたムーアが、「物事をちょっと気軽に考えたくなった」として、まだ十二分に現役だった68歳での引退を表明したときには驚きが広がりました。1968年2月20日、ロンドンでお別れコンサートが企画され、「本日は常々の彼の姿勢とは相反するように、彼を表に押し出し、スポットライトを浴びていただこうという趣向です」とフィッシャー=ディースカウがプログラム冊子に記しているように、上述の3人の歌手が勢ぞろいしてムーアの長年の業績をたたえることになりました。独唱曲、二重唱曲、三重奏曲が絶妙に配置されたプログラミングを考案したのはシュヴァルツコップの夫で元EMIの伝説的なプロデューサーだったウォルター・レッグ(1906-1979)。コンサートはEMIによってライヴ収録され、当日配布された金箔押しの深紅の表紙のプログラム冊子が添えられた2枚組LPとして発売されました。この録音には、3人の名歌手がそれぞれの持てる技巧と音楽性を尽くして彫琢していく精緻な歌唱を一部のずれもなく彩り支えていくムーアのピアノ。20世紀歌曲芸術の極点が一発勝負のライヴという形で記録されています。コンサートの最後にムーアはユーモアにあふれたスピーチを行って聴衆の笑いを誘い、アンコールとしてムーアが独奏したシューベルト「楽に寄す」(ムーアによるピアノ独奏編曲で、BBC放送の名物番組「レコード・レビュー」のテーマ音楽でもありました)が最も感動的な瞬間となりました。
フィッシャー=ディースカウにとって因縁の「冬の旅」
シューベルトの歌曲集「冬の旅」は、フィッシャー=ディースカウにとっての「シグネチャー・ピース」として、その生涯の様々な局面を彩った作品でした。彼が初めてこの歌曲集を公で歌ったのは1943年1月、ベルリン音楽院在学中に開催された地元ツェーレンドルフでの演奏会でのこと。第2次大戦中は従軍しイタリア戦線に派遣され、ドイツ降伏の3日前にアメリカ軍の捕虜となり収容所生活を送ったあと本格的な演奏活動を開始。1948年1月にはベルリンRIAS放送(Radio In the American Sector=アメリカ軍占領地区放送局)のために「冬の旅」を録音し、それがラジオを通じて何度も放送されることでこの若い歌手の名がドイツ国内で広く知られるきっかけとなったのでした。
主観と客観のはざまで揺れ動く解釈
1951年、ムーアとの共演でEMIに録音したシューベルト「美しき水車屋の娘」を皮切りに、フィッシャー=ディースカウの旺盛な録音活動が開始されますが、「冬の旅」が最初に録音されたのは1955年。その後ステレオ〜CD時代を通じてこの歌曲集で6回の再録音を重ね、年齢に伴う声の変化、解釈の変遷と芸術の深まりを音として記録していきます。「冬の旅」は恋に破れた主人公が放浪の旅に出てやがて狂気の裡に沈んでいくという筋書きがあるため、歌手も主人公の主観的な視点とそれをストーリーテラーとして見つめる客観的な視点という複眼的な解釈が要求されます。フィッシャー=ディースカウの複数ある録音は、その2つの視点の間を揺れ動き、どちらの比重が大きくなるかを生々しく刻んでいます。また1960年代半ばまでの低域の豊かな丸みのある美声を惜しげもなく使い尽くす時代から、声を抑制しつつ微細な表現を増していく1970年代の円熟期、言葉そのものに深い諦念をにじませた無限のニュアンスを込めるようになる晩年まで、声と解釈の変遷が音として残されることになりました。今回ハイブリッド化される1962年盤はフィッシャー=ディースカウにとって2度目の録音かつ初のステレオ録音。ちょうど純粋な声の威力が頂点を迎えた時期であり、その圧倒的な声を自由自在に駆使できる表現意欲の発露を心行くまで味わうことができます。
演奏と聴衆の反応とを生々しく記録したライヴ
この2つのアルバムは、全く異なるコンセプトで録音されたもので、しかもそれぞれの特徴が実に明確に収録されています。ジェラルド・ムーアの「フェアウェル・コンサート」は、第2次大戦後の1951年に開場し当時ロンドンを代表する演奏会場だったロイヤル・フェスティヴァル・ホール(RFH)でのライヴ収録で、演奏前後の拍手もたっぷりと収められ、ブラヴォーや笑いなど2,900席を埋めた聴衆の反応も含めたコンサートの臨場感を余すところなく捉えたサウンド・ドキュメントです。RFHは残響が少なめのホールですが、ここではステージ上の歌手(独唱のみならず、二重唱と三重唱)とピアノが1階後方もしくは2階席に座って聴いているかのような絶妙な距離感で収録されています。ドキュメント的な録音とはいえ、距離を置きながらもそれぞれの歌手の声や表現、歌にぴったりと寄り添っていくピアノの表情は、音声のみでスピーカーを通しても実に明晰に聴き手の耳に届くように配慮されおり、まるで3人の歌手の背格好の差異(小柄なロス・アンヘルスに対して長身のフィッシャー=ディースカウ)や立ち位置(三重唱の場合は、左からロス・アンヘレス、シュヴァルツコップ、フィッシャー=ディースカウが並びました)までが聴感上で映像化されるかのようです。録音は1960年代から70年代にかけてEMIのクラシック制作の多くを手掛けたインド出身のスヴィ・ラジ・グラッブのプロデュース、EMIのステレオ時代の名エンジニア、クリストファー・パーカーによるエンジニアリングで収録されました。豪華な共演盤ゆえにCD初期にすでに抜粋盤としてCD化されていましたが、LP発売時の全曲がCD化されたのは2003年の海外盤GREAT RECORDINGS OF THE CENTURYシリーズにおけるartリマスター盤が最初でした。今回はそれ以来22年ぶりの新規リマスターかつ初のSuper Audio CDハイブリッド化で、しかも日本における全曲CD化は今回が初めてとなります。
明晰なドイツ語のディクションと有り余るほどの声の威力
一方の「冬の旅」は、ベルリンの郊外ツェーレンドルフ(フィッシャー=ディースカウの自宅があった地区)にあるプロテスタント福音派の教区公民館(ゲマインデハウス)における2日間のセッション録音で収録されたもので、当時の趣向を反映して(モノラル時代ほどでは極端ではないにしても)声楽がピアノよりもやや大きめのバランスで捉えられています。歌手の声が中央よりもやや右側に定位しているのは歌手がピアノの側面のアーチの中に入ることが多い実際のリート演奏での立ち位置を反映させたものと思われます。この公民館の1階が教会としてもつかわれるアーチ状の天井の講堂になっていて、モノラル時代の1953年から1980年代まで主にドイツ・エレクトローラによる録音セッションで使われていました。この録音は残響感があまり取り入れられていないため、フィッシャー=ディースカウの明晰なディクションが手に取るような鮮やかさで収録されていて、言葉の一つ一つ、詩の1行1行に盛り込まれた精細なニュアンスがそのままの解像度で再現されます。ディースカウの1960年代前半までの低声域に伸びのあるロブストな声質が部屋いっぱいに広がる音作りは、シューベルトが描き出すこの歌曲集の絶望感を聴き手に突きつけるかのようです。アナログ時代の定番だったためCD化も1985年と早く、2001年にはartシリーズでもリマスターされていますが、Super Audio CDハイブリッド化は今回が初めてです。
最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化を実現力
いずれもこれまで同様、使用するマスターの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業をおこないました。特にDSDマスタリングにあたっては、「Esoteric Mastering」を使用。 入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACとMaster Sound Discrete Clockを投入。またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を伸びやかなサウンドでディスク化することができました。
『シューベルトのリートの世界が美しい響きで作り上げられている』
「基本的な解釈は旧録音と大きな違いはないが、音楽的に形が整っており、歌詞の持つ響きが意味のニュアンスを重視しすぎていた最初の録音よりも、ずっとすっきり歌っている。ピアノ伴奏のムーアとの呼吸もぴったりと合っており、シューベルトのリートの世界が美しい響きで作り上げられている。」
『クラシック・レコードブック VOL.5 オペラ・声楽曲編』1985年
「2回目の録音に惹かれるのは、ほぼ同時期に初来日した時の感動が記憶に焼き付いているからだけではなく、声の若々しさと柔軟性がシューベルトの青春の息吹をみずみずしく伝えてくれるからである。」
『クラシック名盤大全・オペラ声楽曲』2000年
[収録曲]
■DISC 1
◇ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
[1] |
別れ La Partenza, K. 436(Metastasio) |
[2] |
もはや誰も見出せず Più non si trovano, K. 549(Metastasio) |
◇フランツ・シューベルト(1797-1828)
[3] |
独りずまい Der Einsame, D. 800 (Lappe) |
[4] |
夜のすみれ Nachtviolen, D. 752 (Mayrhofer) |
[5] |
別れ(《白鳥の歌》より)Abschied("Schwanengesang", D. 957 No. 7)(Rellstab) |
[6] |
夕映えに Im Abendrot, D. 799(Lappe) |
◇ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)
[7] |
ヴェネツィアのゴンドラ競技 La regata veneziana("Serate musicali", No. 9)(Pepoli) |
[8] |
ペスカ La pesca("Serate musicali", No. 10)(Metastasio) |
[9] |
二匹の猫の愉快な歌 Duetto buffo di due gatti |
◇ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
[10] |
サッフォー賛歌 Sapphische Ode, Op. 94 No. 4(Schmidt) |
[11] |
恋人を尋ねて Der Gang zum Liebchen, Op. 48 No. 1(Trad.) |
[12] |
甲斐なきセレナーデ Vergebliches Ständchen, Op. 84 No. 4(Trad.) |
◇ロベルト・シューマン(1810-1856)
[13] |
夜に In der Nacht, Op. 74 No. 4(Geibel) |
[14] |
あなたを想って Ich denke dein, Op. 78 No. 3(Goethe) |
[15] |
踊りの歌 Tanzlied, Op. 78 No. 1(Rückert) |
[16] |
彼と彼女 Er und Sie, Op. 78 No. 2(Kerner) |
◇フーゴ・ヴォルフ(1860-1903)
[17] |
君よ知るや南の国 Kennst du das Land(Goethe) |
[18] |
眠れる者の太陽 Sonne der Schlummerlosen(Byron transl. Gildemeister) |
[19] |
見棄てられた娘 Das verlassene Mägdlein(Mörike) |
[20] |
ジプシーの娘 Die Zigeunerin(Eichendorff) |
◇フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
[21] |
恋人よ打ちあけてくれ Ich wollt', meine Lieb', Op. 63 No. 1(Heine) |
[22] |
挨拶 Gruss, Op. 63 No. 3(Eichendorff) |
[23] |
「ルイ・ブラス」の歌 Lied aus “Ruy Blas”, Op. 77 No. 3(Hugo transl. Draxler) |
[24] |
夕べの歌 Abendlied(Heine) |
[25] |
舟路 Wasserfahrt(Heine) |
■DISC 2
◇フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)
[1] |
いとこに An den Vetter, HobXXVb No. 1(Weisse) |
[2] |
ダフネのたったひとつの欠点 Daphnens einziger Fehler, HobXXVb No. 2(Götz) |
◇ジェラルド・ムーア
[3] |
独りずまい Der Einsame, D. 800 (Lappe) |
[4] |
夜のすみれ Nachtviolen, D. 752 (Mayrhofer) |
◇フランツ・シューベルト(1797-1828)
歌曲集《冬の旅》 D.911 全曲 |
[5] |
第1曲:おやすみ Gute Nacht |
[6] |
第2曲:風見の旗 Die Wetterfahne |
[7] |
第3曲:凍った涙 Gefror’ne Thränen |
[8] |
第4曲:かじかみ Erstarrung |
[9] |
第5曲:菩提樹 Der Lindenbaum |
[10] |
第6曲:あふれる涙(水の流れ)Wasserflut |
[11] |
第7曲:川の上で Auf dem Flusse |
[12] |
第8曲:回想 Rückblick |
[13] |
第9曲:鬼火 Irrlicht |
[14] |
第10曲:憩い Rast |
[15] |
第11曲:春の夢 Frühlingstraum |
[16] |
第12曲:孤独 Einsamkeit |
[17] |
第13曲:郵便馬車 Die Post |
[18] |
第14曲:霜おく頭 Der greise Kopf |
[19] |
第15曲:からす Die Krähe |
[20] |
第16曲:最後の希望 Letzte Hoffnung |
[21] |
第17曲:村で Im Dorfe |
[22] |
第18曲:嵐の朝 Der stürmische Morgen |
[23] |
第19曲:幻覚 Täuschung |
[24] |
第20曲:道しるべ Der Wegweiser |
[25] |
第21曲:宿屋 Das Wirtshaus |
[26] |
第22曲:勇気 Mut |
[27] |
第23曲:幻の太陽 Die Nebensonnen |
[28] |
第24曲:辻音楽師 Der Leiermann |
[詳細]
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)(DISC 1 1-2, 7-12, 21-25 & DISC 2 1-3)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)(DISC 1 1-2, 7-9, 13-20 & DISC 2 1-3)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)(DISC 1 1-6, 13-16, 21-25 & DISC 2 1-3, 5-28)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音 |
[フェアウェル・コンサート]1967年2月20日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのライヴ・レコーディング
[シューベルト:冬の旅]1962年11月16日、17日、ベルリン、ツェーレンドルフ、福音派教区公民館(ゲマインデハウス) |
海外盤初出 |
[フェアウェル・コンサート]His Master's Voice SAN 182-3(1967年)
[シューベルト:冬の旅]Electrola ASDS 551、STE 91 239(1963年) |
日本盤初出 |
[フェアウェル・コンサート]ANGEL AA9338〜9(1967年10月5日)
[シューベルト:冬の旅]ANGEL ASC5293〜4(1963年10月) |
オリジナル・レコーディング |
[プロデューサー]
[フェアウェル・コンサート]スヴィ・ラジ・グラッブ
[シューベルト:冬の旅]イェルク・リッター、クリストフリード・ビッケンバッハ
[バランス・エンジニア]
[フェアウェル・コンサート]クリストファー・パーカー
[シューベルト:冬の旅] エルンスト・ローテ
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※製品の仕様、外観などは予告なく変更されることがありますので、予めご了承ください。