完璧無比のピアニズムを刻んだポリーニの最高傑作。
20世紀のショパン演奏史にポリーニの名を刻んだ、驚愕の名盤
ポリーニのドイツ・グラモフォンへのセカンド・アルバムにしてその代表盤
イタリアの名ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(1942年生まれ)が一躍その名を世界にとどろかせたのは、1960年のショパン国際コンクールで優勝を飾った18歳の時のこと。審査員全員一致の推挙であり、しかも審査員長だったルービンシュタインの「私たち審査員の中で、彼ほど上手く弾けるものがいようか」という言葉は、ポリーニという存在がいかにセンセーショナルであったかを物語っています。ミラノのヴェルディ音楽院卒業のはるか前の9歳でデビューを果たした若きピアニストは、しかし、この直後に公の演奏活動から身を退き、レパートリーの拡充を含めさらに自らの芸術を深めるための研鑽を続けたのでした。そしてそのドロップアウトの期間を経て1968年に演奏活動を本格的に再開し、さらに1971年にはヨーロッパ各地への広範はリサイタル・ツアー、それとドイツ・グラモフォンからのデビュー・アルバム[ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの3楽章&プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」](当シリーズでSuper Audio CDハイブリッド化済み)によって、再び世界を驚愕させることになりました。その翌年に録音されたのがDGへの2枚目のソロ・アルバムがこのショパンの練習曲集で、ショパン演奏史上のマイルストーンともなる名演が刻まれたのです。
ピアノの練習のためではない「練習曲」の音楽の在り方を提示
ショパンの練習曲は、19世紀前半のピアノいう楽器の普及に伴ってニーズが生まれた、ピアノ演奏法上のさまざまな技術の習得のために書かれた教則用音楽であると同時に、学習課題という目的から連想される無味乾燥さとは無縁の、美しい旋律と和声が織り成す抒情性に溢れた芸術作品でもあります。ポリーニの練習曲の演奏は、作品の奏した点を十分に汲み取りながら、完璧なまでに均整のとれたタッチとバランスで、全ての音符、全てのフレーズを弾き、私情(あるいは詩情)をはさむことなく音の連なりだけで成り立つ音楽作品として提示した点にあります。ショパンが24の調性に沿って書き分け、個々の曲に盛り込んだ技巧的な課題を難なく克服し、24のミニアチュールのそれぞれの理想像ともいえる姿を音にして見せたのです。
「ポリーニ以前」と「ポリーニ以後」
2011年になって、ポリーニがショパン・コンクール直後の1960年9月にEMIに録音していた練習曲全曲が初めて発売されましたが、その旧録音とこの12年後のグラモフォン盤とを比較すると、表舞台から去って自らの演奏を見つめなおすことでポリーニが獲得した立ち位置が見えてくるようです。テンポはほぼ同じであるため個々の曲についての基本的な解釈は旧録音の時点で出来上がっていたことがよく判りますが、音の出る瞬間の異常なまでの緊張感、音と音、フレーズとフレーズを繋ぐ連関性の緊密さ、非情なまでに感情の動きを排除する姿勢には雲泥の差があります。1973年国内盤LP発売時に使われた「この上に何をお望みですか?」というキャッチコピーの通り、ポリーニがグラモフォン盤で打ち立てたこの練習曲集のクリスタルのようにクリアなイメージは、それ以来打ち破られたことがありません。同時期に発売されたアシュケナージ盤と並んで、ピアノを学ぶ音大生のバイブルともなりましたが、ポリーニ盤の方は、学生たちに演奏への憧れとともに、常人では近づくことすらできない高みを常に意識させられるジレンマをももたらしたのでした。そしてこのポリーニの録音が発売された時点で、ショパンの練習曲については、「ポリーニ以前」と「ポリーニ以後」という視点で語られることになりました。ポリーニ自身は、練習曲以後もショパンの作品を定期的にレコーディングでも取り上げ、24の前奏曲、ピアノ・ソナタ第2番・第3番、スケルツォとバラードの全曲、夜想曲全曲なども含め、2019年に発売されたピアノ・ソナタ第3番の再録音を含むオール・ショパン・アルバムまで、主要作品を網羅してきていますが、練習曲については1曲も再録音を残していません。
最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化が実現
録音は1950年代からミュンヘンの録音会場として使われ、その優れた音響で知られるヘルクレスザールで行なわれました。1986年にガスタイク・フィルハーモニーが出来るまでは、ドイツ博物館内にある会議ホールとともにミュンヘンの主要コンサート会場でもありました。1800人以上を収容できる典型的なシューボックス形式のホールで、細部をマスクしすぎない適度な残響感、高域から低域までバランスのとれた響きの2点で録音には最適であり、ポリーニはこのアルバム以降も好んでソロ録音に使っています。ドイツ・グラモフォンらしいホールトーンを生かしたニュートラルなサウンドではなく、より近接した音作りで、ポリーニの輝きに満ち、明晰極まりないタッチから生み出される一音一音の鮮烈さが余すところなく捉えています。極め付きの名盤ゆえに初発売以来常にカタログから落ちたことがなく、デジタル時代初期からもCD化されており、Super Audio CDシングルレイヤー(2012年)、Original Image Bit Processingによるリマスター(2014年)も含め、繰り返し再発売されてきましたが、今回は初めてのSuper Audio CDハイブリッド盤としての発売となります。今回のSuper Audio CDハイブリッド化に当たっては、これまでのエソテリック企画同様、使用するマスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業が行われています。特にDSDマスタリングにあたっては、DAコンバーターとルビジウムクロックジェネレーターとに、入念に調整されたエソテリック・ブランドの最高級機材を投入、また同社のMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を余すところなくディスク化することができました。
■「あくまで明晰に、そして完璧なテクニックに支えられて奏でられる ··· まるで色とりどりのさまざまな光を放つ宝石のよう」
「ここにはショパンが考えた限りの技巧が生かされている。ポリーニは明るく透明で、やや冷たい音を、鮮麗なタッチで弾き出しているが、それらは少しも脆弱なところがなく、堂々とした安定度をもって強靭な時間を作っていく。このピアニストの技巧のメカニックや感覚の冴えは驚くべきものであるが、それらがすべて音楽に奉仕していることこそ、本当の驚異といえるだろう。」
『レコード芸術』1973年6月号・特選盤
「あらゆる音が微塵のゆらぎもなく、ショパンの練習曲の理想像を描いていく。その完璧性において、同じショパンであってもこれ以前のポリーニとは全く別人の演奏のようだ。あらゆる音、一つ一つの音が、微塵のゆるぎもなくショパンのこの作品のあたかも理想図を実現するかのごとくに演奏されていく。こうした技術面では、ほぼ時を同じくして発売されたアシュケナージの同曲集の録音でさえ、影を薄くさせるものだった。」
レコード芸術別冊『演奏家別レコードブック VOl.2』1988年
「強く引き締まったショパンである。どんな細部を切り取っても、あいまいに弾かれた箇所は見当たらず、ポリーニの男性的で強靭な意志と、並ぶもののない完璧な技巧、確実なタッチから生まれる磨き抜かれた輝度の高いピアノの音によって、ショパンが『練習曲』に意図し、その中に盛り込んだものすべてが、全て均整感をもって実際の演奏に実現されている。ここにはまた、完璧ゆえの冷たさはなく、内側からポリーニに突き動かされた熱いものが、ストレートに、気品をたたえて奏しだされている。絶品である。」
『クラック・レコード・ブック VOl.4 器楽曲編』1985年
「あくまで明晰に、そして完璧なテクニックに支えられて奏でられる24の作品は、まるで色とりどりのさまざまな光を放つ宝石のよう。ハ長調のアルペッジョがいかに輝かしいものか教えてくれた第1番、対照的に半音階の細やかな影の世界に入り込む第2番、そして、通俗名曲と思われがちな《別れの曲》がいかに高貴な作品であるかを知らしめる第3番、それが静かに閉じ、間をほとんど置かずに嬰ハ短調、プレストの嵐の世界に飛び込む第4番と、まったくいきもつかせぬばかりに曲は進行する。第13番《エオリアン・ハープ》のすがすがしい佇まい。難曲中の難曲、第18番の右手のサンドの動きなどポリーニ以外のピアニストでは全く考えられない。しかも、耳を傾けていてテクニックの凄味が前面に出てくることなく、聴こえてくるのは常にショパンの詩的情緒に溢れた豊かな音楽なのだ。」
『ONTOMO MOOK クラシック不滅の名盤800』1997年
「ポリーニ30歳の時の快演。文字通り一点非の打ちどころのない完璧なメカニックが圧倒的である。だが、これだけシャープで切れ味がよく、しかも盤石の安定感があり、全てのものを押しのけるような圧倒的なパワーと、同時にそれをスーパーコンピューター的な精度で知的にコントロールする細やかな神経とを、すべて最高のバランスで兼備した演奏となると、果たしてどこかほかで聴けるかどうか、大いに疑問である。輝かしいコンクール制覇時代の後の、長い沈黙の時期に、彼はこの武器を手にしたのである。これはある意味でポリーニの出発点である。今日に至る彼の芸術家としての苦悩の。」
『クラシック名盤大全 室内楽曲編』1998年
「これを境にしてショパン演奏の基準が変わったと思わせるほどのインパクトを当時の聴き手に与えた。同時に、20世紀前半に活躍した往年の巨匠たちの時代から、新しいピアニズムの時代への移行をはっきりと感じさせたのだった。それは何も演奏技術の問題だけではなく美学にかかわることで、それまでの文学的な解釈と決別し、徹底して音楽のリアリズムを追求したショパンはとても新鮮に感じられたのだ。硬質なタッチと揺らぎのないテンポ設定、声部間の均整、デュナーミクなどの全てが精巧に表現されている。ポリーニの演奏を特徴づける覚醒した情熱も然り。クールなマスクの内側に若いピアニストの優しい情感が見え隠れする。」
『ONTOMO MOOK レコード芸術選定 クラシック不滅の名盤1000』2007年
「ショパンのエチュードはどういう曲か、どういう技巧を使ってどのように表現するか。そしてピアノの音や響き、またピアニスティックとはどういうことか、またピアノを弾くとはどういうことかなどを、頭で考えるのではなく、ダイレクトに耳へ快感とともに教え込んでくれる。しかしここまでパーフェクトに演奏されると、多くのピアニストはこれを目標に頑張ろうというよりも、むしろ諦めの境地に陥ってしまうのではないか。」
『最新版 クラシック不滅の名盤1000』2018年
収録曲 / 詳細
フレデリック・ショパン(1810〜1849)
12の練習曲 作品10
12の練習曲 作品25
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
[1] |
12の練習曲 作品10
第1楽章 ハ長調 |
[2] |
第2楽章 イ短調 |
[3] |
第3楽章 ホ長調《別れの曲》 |
[4] |
第4楽章 嬰ハ短調 |
[5] |
第5楽章 変ト長調《黒鍵》 |
[6] |
第6楽章 変ホ短調 |
[7] |
第7楽章 ハ長調 |
[8] |
第8楽章 ヘ長調 |
[9] |
第9楽章 ヘ短調 |
[10] |
第10楽章 変イ長調 |
[11] |
第11楽章 変ホ長調 |
[12] |
第12楽章 ハ短調《革命》 |
[13] |
12の練習曲 作品25
第1楽章 変イ長調 |
[14] |
第2楽章 ヘ短調 |
[15] |
第3楽章 ヘ長調 |
[16] |
第4楽章 イ短調 |
[16] |
第5楽章 ホ短調 |
[18] |
第6楽章 嬰ト短調 |
[18] |
第7楽章 嬰ハ短調 |
[20] |
第8楽章 変ニ長調 |
[21] |
第9楽章 変ト長調 |
[22] |
第10楽章 ロ短調 |
[23] |
第11楽章 イ短調《木枯らし》 |
[24] |
第12楽章 ハ短調 |
詳細
録音 |
1972年1月20〜22日、5月15日〜19日、ミュンヘン、レジデンツ内、ヘルクレスザール |
初出 |
2530 291(1973年) |
日本盤初出 |
MG2389(1973年5月) |